猫に小判

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日本語[編集]

ことわざ[編集]

ねこ小判こばん

  1. (猫に小判を与えても、その価値を知らない猫にとっては何の意味もないことから)どんな立派なものでも、価値がわからない者にとっては、何の値打ちもないものであるというたとえ
    • 制度が先にあっても宜しいが、個人多数に目覚めて、その制度を我物として活かすのでなくては、制度も猫に小判ですから、私は先ず個人の自覚努力とを特にそれの乏しい婦人の側に促しているのです。(与謝野晶子 『平塚・山川・山田三女史に答う』)

語誌[編集]

同義句[編集]

類義句[編集]

その他の用例[編集]

  1. 彼猫を捕引出し、左衛門大にいかり、汝大切の金子を何とて、箇様になしたるぞとて、是を切らしむ、鹿左衛門後悔し是我誤なり、俗にいふ猫に小判、馬の耳に風と、世のたとえもありけるにと、其跡を憐けり、 (『獣太平記』安永7年(1778年))
  2. 片田舎には。指南する人まれなる故に。たま/\彼の巻々をひらくといへども。猫に小判にて。をのづから泣寐入になる者少なからず。よつてひそかに是をなげき。いにしへのちんふんかんを。当世の平直ひらたい詩に仕替しかへ。風流源氏物語と題号して。 (『東海道敵討』巻末)
  3. 武士の道は随分と立つる此男、心の中がいうて聞せたいけれど、貴殿などの聞れては、正真の猫に小判。 (『傾城播磨石』)
  4. 一両出して渡さんとすれども猫に小判のたとへの通り体は徳太郎でも魂は猫故小判を目にもかけず空うそぶいて居る (唯心鬼打豆)
  5. されども音を知る人は稀に、巍々洋々も徒らに、猫に小判の耳なければとて、包みて光を世に顕さず、只独の楽とす。 (鶉衣)
  6. 夫れ劇場の不寐見木戸ねずみきどを鼠木戸と心得、封糧側之麻子ねこを猫と呼ぶ。猫に小判の喩へも空しからず、金猫の名有ればめぬきかと思ひ、銀猫とは香炉かと思ふ。 (『一目土堤自叙』)
  7. 蓋し学者先生は、猫に小判の道理を知らざる者なり。博物図は猶小判の如く、或人は猶猫の如し。猫の小判に於ける、固より其用法を知らず、何ぞ其貴きを知らんや。然り而して此先生も亦、一種の猫たるを免かれず。此猫は小判の貴きを知て、其用法を知らざる者なり。先生若し「ゾーロジー」と「ボタニー」の教育に大切なるを知らば、此学問が何故に大切なりとの訳けを、説き教ゆ可き筈なるに、其訳けもなく、唯博物図を大切なりと計り云うては、頓と又訳けの分らぬことなり。必竟ひつきやう先生も人の話を聞いて、之を大切なりと思ひ、自分の内にも此巻物を買うたるゆゑ、人にも勧ることならん。詰る所は猫に勧めて小判を求めしむるのみ。 (『福沢文集』巻之一)
  8. 経済学といふものはどうして起こりますか。全体経済学では需要供給といふことを第一に言ひますが、需要といふのは人間があれが欲しい是が欲しいと言つて求める欲望です。人間の欲望が物の価値の一番土台になつて居るのでございますから、人間の心の有様をよく知らなければ、本当の経済学は分るものでは無い、金に価値がある銀に価値が有ると申しますが、其の価値は何から出て来たのでせう。皆人の心から出て来たのであります。「猫に小判」といふ諺がありますが、猫には人のやうな心が無いから、黄金を前へ持って行っても、瓦や石と変った事は無いのです。若し人やうな心が有るならば、猫の前に小判を出せば、急いで持って行くかも知れませぬ。物の価値は全て我々の心から出て居るのでありますから、経済学も心理学が基礎になつて居るのです。すべてかういふ学問を根本的に学ぼうと思ふ者は、どうしても心理学の知識が無くてはなりませぬ。(『』実際的心理学)
  9. 先に引用したフオイエルバツハの一文をも引用しながら、彼はフオイエルバツハがその一文に於いても心的過程と物的過程とは唯一生命過程の二面であるけれども、同一性質のものではないことを主張してゐることには猫に小判である。(『学術維新原理日本 上巻』)
  10. 斯様に宗教、実は教会は政治と密着して専制政治を授けて居つたのでありますからして、此点に於て、マルクスが「宗教は民衆の阿片である」と云つたのは、さういふ独逸の当時としては事実であります。尤も彼は堕落せる教会を見てそれを宗教の本質としたのでありますから、彼には真の宗教は猫に小判であつたのであります。(『独露の思想文化とマルクス・レーニン主義』)

参照[編集]

  • 江戸いろはがるた:念には念を入れよ
  • 尾張いろはがるた:寝耳に水
  • 幸田露伴『東西伊呂波短歌評釈』
    東は事に処し物に接する須らく精確詳密にすべきを云ひ、西は機に投じ縁に応ぜざれば金珠も土磔に等しきを云へるなるが、東の方の諺は詩趣無く、西のは佳意無し。

翻訳[編集]

豚に真珠#翻訳参照

出典[編集]

  1. 「ちんふんかんの絶句律詩につづってしさいをこねましたによって猫に小判を見せたやうでよひやらわるいやらひとつもがてんまいりませぬ」『評判記・野良立役舞台大鏡』(1687年)
  2. 「猫に小判という俗諺があって、馬の耳に念仏などと同じような場合に用いられ、または世俗芸妓のことを猫と呼ぶので、この場合の猫も芸妓のことにして解するものもあるようであるが、当地方※などでは「猫に木天蓼、芸妓に小判 」という。猫に小判という俗諺は、これが中略されたものではあるまいか。」(『福間三九郎の話』、初出:『郷土研究』四ノ五) ※長野県松本巿、[1]