トーク:ながれ

出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』
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語義3の編集に関して[編集]

 実を申し上げますと、語義3に関しては独立した意義として挙げている辞書は残念ながら手元にございません。手元の『講談社カラー版 日本語大辞典』(初版、1989年)における「ながれ」の定義の中では、

  • 1. 流れること・もの

が恐らく最も近いものであるかと存じます。よって、広義的にはこの意味に含まれるものであろうという事は意識しておりました。
 さて、この単語記事を初めて目にした際、<時間の経過>という先述の辞書には見られない定義区分が既に載せられていました。しかしこちらの辞書では確認できないからという理由だけで勝手に語義の削除を行うのは乱暴が過ぎるという事でこれまでの編集内容は極力尊重させて頂く事と致しました。そして語義2に関連した「時の流れ」という連語を新たに追加させて頂こうと思い立ちました。
 されど、訳語集を設置し訳し分けを行おうと試みるに当たり、<時流>などの意味を持つ語が複数言語において見られるという事態となり、そうした言葉は<時間の経過>という定義で括ろうとすると余りに不適切なのではないか、という考えに傾いて参りました。
 また、編集者自身の日常における「ながれ」という言葉の用いられ方などを鑑みますと(連語節・語義3を参照)、既存の定義の下に<時流>の意味合いを含ませようとしても著しく無理が生じてくるのでは、との思いがますます強くなって参りました。
 以上二つの観点――諸外国語との兼ね合い、および一日本語母語話者としての感覚――から、結局は独断により一つの語義として語義3を分離させて頂く、という判断を致しました。以上の様な過程に関して、聊かよろしくない点が含まれていなかったか否かが不安で堪りません。皆様のご意見を仰ぎたいと存じます。 --Eryk Kij (トーク) 2014年5月26日 (月) 19:36 (UTC)

ShikiHでございます。ご懸念の件、分離して記述するのがよいと思います。語釈2は「時間の経過」、語釈3は「特定の時代や時期における精神的な背景」ですね。3は「時流」と表現してもいいと思います。私なりに解釈すれば時流とは「その々の主となるような考え方、思想」ですから、時流は時間の経過とは思いません。別個のものとして扱われるのが当然と思います。
ところで上記でエリック・キィさんは諸外国語との兼ね合いを問題にしていらっしゃいますが、それは二の次の問題となさればよろしかろうと思います。世界の約3000の言語の都合を考えていては、日本語の語釈なんて書けません。どんな言葉の辞書だって、その言語内での語義・用法、その他を記述するのみです。英語のsorryなんか、日本語にするときにずいぶん困りますが、日本語に訳すとき困るから英語の辞書はなんとかしれくれなんて要求するのはお門違いというものです。逆もまたしかり。--ShikiH (トーク) 2014年5月27日 (火) 07:24 (UTC)
 ShikiH様、ご意見どうもありがとうございます。どうにも日本語以外の言語を観察しておりますと、元々日本語の用いられてきた主な場所たる日本に欠片ほども存在していなかった様な概念でもない限り、日本語のどの単語のどの語義解釈に振り分けた方がよろしいのか、処遇に悩むものが多々ございます。今回の編集も「単語の受け入れ先」をどの様に致そうか、を悩んだ事が動機の一つとしてございました。それは置いておきまして、日本語の語義に関してはまた別個に悩んで当たる事と致します。引き続き、精進して参ります。--Eryk Kij (トーク) 2014年5月27日 (火) 14:35 (UTC)

「さすらうこと」について[編集]

ShikiHでございます。「さすらうこと」について日本国語大辞典は次のような例文をあげています。

  • 浮世草子・好色一代女〔1686〕一・四「惣じて流(ナガ)れのこと業禿立(かぶろだち)より見ならひわざとをしへる迄もなし」
  • 浄瑠璃・用明天皇職人鑑〔1705〕鐘入「つらさ果なきながれのくるしみ、いつの世に、誰がはじめけん」
  • 雑俳・川傍柳〔1780〜83〕五「ながれの中のどろ水は遣手なり」
  • 洒落本・竊潜妻〔1807〕自序「苦界(ナガレ)の浅深(きょじつ)」

つまり「ながれ」とは遊廓、また遊女を指す。遊女に自発的になる人は少なく、借金と引き換えに年季奉公に出るのが普通ですから遊女になる前に諸国を放浪する人はあんまりいないだろうと思います。また遊女になればそう簡単に出歩くことは許されず、遊廓に定住します。それでも「ながれ」と言います。これにあわせて語釈を変更します。

私は外国語にあんまり詳しくないのでよくは知りませんが、vagabondは半ば自発的に放浪してる男性を指すことが多いんじゃありませんか? それだとだいぶ遊女とは異なるような気がします。--ShikiH (トーク) 2014年6月1日 (日) 16:48 (UTC)

 エリック・キィでございます。まず手元の『小学館ランダムハウス英和大辞典 第二版』(1994年)に拠りますと、"vagabond"は、
  • 「―n. 1 流れ者, 渡り者, さすらい人, 放浪者, 流浪者.」
    • 2 (一定の居所や定職のない) 浮浪者, 無宿者, ルンペン (tramp).」
との語釈でございます。但し、これを見る限り性別は特に限定されていない模様でございます。
 また、以前ShikiH様が仰せであった"tramp"に関しましては、
  • 「―n. 4 徒歩旅行者; 放浪者, こじき; 渡り職人.(中略) a professional ~ 浮浪者 / on the ~ 放浪して; (職を求めて)渡り歩いて.」
とあり、更には、
  • 「―n. 5 《米・カナダ俗/軽蔑的》 身持ちの悪い女; 売春婦.」
との語釈すら記載されておりました。
 実を申し上げますと、同じく手元にございます『講談社 カラー版 日本語大辞典』には、単に
  • 「6. さすらうこと・人。 wander」
という語釈が具体的な用例は一切なしで記載されておりました。よって、またもや自己判断で「事」と「人」とを分離し、後者には<さすらう人>という説明に当て嵌まると思われる"tramp"や"vagabond"、および"wanderer"("wander"の行為者を表す形)を当初配置させて頂きました。
 されど、ShikiH様に挙げて頂いた「ながれ」の用例集は確かに<遊女の身>に関するものでございますね。そうした側面を持つ用例が豊富に見られるという事には大いに納得致しました。
 さて、それでは私が字引の記載を額面通りに受け取った<放浪者>のニュアンスは全く実態がないものであるのか、と探って参りましたところ、大津美子さんという方が
  • 流れのジプシー娘」 (1956年)
という表題の歌謡曲を歌っていた事を突き止めました。念のために歌詞の詳細[1](台湾のサイトですが何卒ご容赦下さいませ)まで確認致しましたが、<定住せず旅して暮らす>というイメージと密接に結びついた「ジプシー」という語と共に用いられている為、ここでの「流れ」は<遊女>というよりは、どちらかと言えば単純な<放浪者>の意で用いられている例と判断する事が出来るかと存じます。ただ、いずれにしろ男性に関しての使用例は見つける事が適いませんでした。
 長くなってしまいましたが、今後対応する訳語に少なくとも"tramp"の語は残す事になる見通しであるという事、そして何より、基本的にはShikiH様の編集内容は大いに尊重させて頂こう、という姿勢にございます。もしかすると、これもまた更に語義を分割した方が吉であるケースであるやも知れません。 --Eryk Kij (トーク) 2014年6月1日 (日) 19:54 (UTC)
横から失礼します。ShikiHさんが挙げていらっしゃるのはすべて江戸時代の用例ですね。だとすると、「流れ」を遊郭、遊女と解する語釈はむしろ古典日本語に分類したほうがいいのかもしれないという気もします。
歌の歌詞ばかりで恐縮ですが、私も例を追加してみます。流れの旅路越後獅子の唄天竜しぐれ などを見ると、ここでは「流れ」は流浪、漂泊、さすらいといった意味で使われていることが分かると思います。--Ryota7906 (トーク) 2014年6月1日 (日) 21:37 (UTC)
ShikiHでございます。「ながれ」が遊女の境遇、すなわち文字通りの地理的というか空間的流浪というよりも社会的な流浪者を指す、というのは昔の用法で、現在は諸国放浪という意味だと皆さんがお考えの上、遊女という語義を古典日本語に移すのがよいとなれば、私には異存はありません。ただし今の記述に(古)とか(廃)とか書き加えるのも一法かと思います。英語については、そういう語義では使われないと判断するにはよほどの実力が必要であり、わたくしはそのレベルに達してないので、やはり皆さんのご意見に従います。--ShikiH (トーク) 2014年6月2日 (月) 08:55 (UTC)