トーク:上代

出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』
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太古とか上古に昔、という以上の細かい定義があるのは、日本文学史、国語学などのタームだと思われるので、その前提を書かずに、一般的に太古や上古に定義があるかのように書くのはちょっと問題かと。また、太古と上古というだけの書き方では、客観的な時代、たとえば奈良時代にあたるなどがわかりません。とりあえず修正しました--Gelasinos 2006年5月17日 (水) 22:33 (UTC)[返信]

最初のスタブは、三省堂:金田一「新明解国語辞典」(1979)(1991)の定義を参考に、上代研究が「万葉仮名」が使われていた時代の研究をさすことから書きました。デジタル大辞泉でも「主として奈良時代をさす」 [1] とあります。平安中期(まで)をさすのは「上代様(じょうだいよう)」の一語だけです。「上古」について、岩波:倉石「中国語辞典」(1963-83)では、「文献のある限りで最も古い時代」=これは実に一般的、に続いて、「わが国では蘇我氏滅亡まで、または大和時代までをいう」とあります(これには多少驚きを覚えました)。--Midville 2006年5月18日 (木) 06:31 (UTC)[返信]
一般の人が「太古」というと大昔のイメージの方が強いのは、「地文学上、生物がまだ地上に現れなかった原始時代」(大修館:諸橋「新漢和辞典」(1963-79))という地学=理科的な情報の方が多いからです。一般的には、上古の語義・定義=文献時代から推定して、有史以前を指すと考えます。--Midville 2006年5月18日 (木) 06:31 (UTC)[返信]
元の古中国語に「太古」「太上」という熟語はありますが、現代中国語の辞書に tàigǔ, tàishàng は載っていません(岩波:倉石「中国語辞典」(1963-83))。「上古 shànggǔ」は漢和辞典にも中国語辞典にも載っています。しかして「上代」という用語はもともと日本生まれと存じます(漢和辞典に記載なし)。それが中国に逆輸入されて shàngdài になったものと思われます(中国語辞典に見出し語なし、古代の訳語としてのみ付録に記載、しかも gǔdài, shànggǔ に続いて3語目)。--Midville 2006年5月18日 (木) 06:31 (UTC)[返信]
かなり充実させましたので、現本文の方向でいかがでしょうか。--Midville 2006年5月18日 (木) 07:32 (UTC)[返信]
平安以前という文章は、平安を含まない文意でしたが誤解を招く書き方でした。現状で基本的には問題ないと思いますが、上古や太古の間に類義語ではなく、「先後の観念を含む時代区分的な関係」が、特定分野の意味ではなく一般的な意味としてあるというのはちょっと納得しがたいです。「日本国語大辞典」では上古も太古も解説文に同義語・類義語として並列してあるだけですし、「広辞苑」でも同様です。上代という語と太古という語、上古という語の間の関係は、非常に昔をいう文語的な用語、というゆるい関係以上のものではないと思います。また、特に、上古や太古が、上代という語と近い関係にあるともいえないでしょう。--Gelasinos 2006年5月18日 (木) 08:00 (UTC)[返信]
太古と上古の間には先後の関係があります。ここは、国語辞典ではなく漢和辞典を引かねばならないところなのです。詳しく古中国語の用例を探さなくとも、ここでは古中国語に「太上」という語があるのが一つの証明になります。中国語には、非常に似ているが実は違う語義を持つ字(熟語の最初の字)を二つ重ねてより大きな抽象概念を表現する語法があるのはご存知のとおりですが、重ねる場合には、時間概念を表す字なら、古い順(時代順)・時間空間概念が大きい順に並べます。上古には「文献のある時代」という基本語義がある以上、それに対立する太古は「文献のない時代」ということになり、太古の方がやはり古くなります。これは「太古の昔、まだ文明というものがなかったころ」というよくある言い回しの、一般のイメージにも沿います。上古というと、一義的には中国の上古を指すので、それで特に日本の上古をいうのに開発されたのが、上代という語です。そこまで踏み込んで解説していないのは、「日本国語大辞典」と「広辞苑」の編者の手抜きともいえるでしょう。むしろ、誤解を恐れず踏み込んだ「新漢和辞典」や「新明解国語辞典」の編者に万雷の拍手が贈られて欲しい。ちなみになぜ上古というかですが、上には尊ぶという意味があり、文明を開いてくれた先祖を「尊ぶべき古代」だから上古なのです。太には各中国王朝の初代天子を太祖と呼ぶように、文明とは別に今自分たちが存在する原因である自分たちの「太祖の古代」だから太古なのです。言葉を作り使った人の気持ちにまで分け入って辞書を作るべき辞書制作者が、「大昔」でひとくくりにしてよいわけがありません。Thanks--Midville 2006年5月18日 (木) 17:14 (UTC)[返信]
後段の話はあまり関係がないと思いますし、「大昔」でひとくくりにするのは、現実にそういう大雑把な意味、用法があり、それも正当だからです。で、漢語としての意味、ということですが、「太上」だけでは非常に弱いです。諸橋大漢和その他を参照しました。「太古」は非常に昔で、とくに唐虞以前を指す、とあります。尭舜以前、三皇五帝の時代なんかをさすわけです。また、先史時代をさすともあります。つぎに「上古」ですが、これも太古、遠古を類義語してあげた上で、中古と並列するときは秦漢以前をさす、とあり、また、文字以前の時代をさす、ともあって、例は易の上古は結縄穴居であったがというところです。また、上古の書といえば尚書のことだそうです。

オンラインの台湾の辞典では以下の如し。

太古 上古時代。禮記˙郊特牲大古冠布句下鄭玄˙注:唐虞以上曰太古也。呂氏春秋˙恃君覽˙恃君:昔太古嘗無君矣,其民聚生群處,知母不知父。

上古 遠古時代。古人以書契時代以前為上古,今多以洪荒至秦、漢以前為上古。歐洲則約以紀元前四千年至西羅馬滅亡期間為上古。易經˙繫辭下:上古結繩而治,後世聖人易之以書契。文選˙司馬相如˙封禪文:伊上古之初肇,自昊穹兮生民。

さて、以上から見るに、たしかに太古は上古より、おおまかには古い時代を意味するということはいってもよい。しかし、それは太古と上古がひとつづきの、ちょうど「中古」と「上古」のように、相互に参照するようなセットしての観念として確立された先後の観念があったわけではない。実際、文字以前の時代という易の用法のような意味のときは、太古と先後はいえない。
わたしが問題にしていたのは、太古のほうが古いかどうかではなくて、太古と上古をひとつの時代区分的なセットして扱う用法が古いかということで、これは別のことです。また、上代という語が上古にかわって導入されたというのも、どの次元の話なのか。国学や日本文化史の次元でそういう事実があったのか、またその典拠はあるのか。また、そうであるとしても、それ以前に上代という語は日本にはなかったのか。私は上代という語はそれなりに前近代から用例のある語であり(「日本国語大辞典」に多数「はるか昔」という一般的な意味であるとして用例が挙げられています)、そこでは上古という語の代わりであるというような意味はないと思うのですが、いかがですか。(結果的に意味的に重なるということと、一方が他方を参照して定義されている、または、少なくとも意味的な特別なつながりの意識がある、ということは別のことです)
また、下の質問に答えていただけると助かります。タームとして、上代と太古・上古の間に確定的な関係が定義されているのであれば、それはたしかに、そういうものとして、記述すべきだと思いますので。私は繰り返しますが、単にタームとしての用法を一般的な、あるいは「本来の」用法のように書くべきではないと主張しているだけで、それ以外の意味はありません。--Gelasinos 2006年5月19日 (金) 06:05 (UTC)[返信]

上古と太古との関連の項目を他の項目に統合しました。それで、二番目の項目の最初が太古上古を含む定義、「文献文学では六世紀末から、奈良時代まで」の部分が、「上古」だけの定義と理解していいのでしょうか。で、あれば消した部分をもう少し生かした形で取り込めそうです。新明解にももとの太古と上古との関係に言及した項目は、日本文化史で、という限定つきでしたし。--Gelasinos 2006年5月18日 (木) 13:47 (UTC)[返信]