同病相憐れむ

出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』
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日本語[編集]

成句[編集]

同病ドウビョウあいあわれむ

  1. 同じような、苦しい境遇にある者同士は、たがいに親近感を覚えるものである。
    • 我等が行き詰まるやうな心持で椅子に腰をかけて仕事をしてゐると、彼の貸二階の人々は同じくその狭い二階に膝をかがめ低い天井に背ぐくまつて、ゆとりの無い暮しをしてゐる様である。宜しく同病相憐れむべきであるが、其二階の人が高いところから我等を見下ろしてゐると気がつくと癪に障らざるを得ない。(高浜虚子 『発行所の庭木』)

由来[編集]

『呉越春秋・闔閭内伝・闔閭元年』より

  • 子胥曰「吾之怨與嚭同。子不聞河上歌乎?『同病相憐、同憂相救』驚翔之鳥、相隨而集。瀨下之水、因復俱流。胡馬望北風而立、越鷰向日而熙。誰不愛其所近、悲其所思者乎?」
    (訳)伍子胥は言った、「私と伯嚭は(楚への)恨みを共にします。殿は河上のあの歌が聞こえませんか?『同じ病のものは、お互いかわいそうに思うし、同じ悩みを持つものは助け合うものである』驚いて飛び立つ鳥は、寄り集まって飛びます。瀬に分かれた水は、また元に戻ります。胡の馬は故郷の北風に向かって立ち、越の燕は(南の)太陽を向くのを好むものです。誰が、身を寄せようとするものを愛さず、思いを寄せる者をかわいそうに思わないものでしょうか」
    (解説)春秋時代、呉王闔閭の下に、旧友である伍子胥を頼って伯嚭が仕官を願い出た際、闔閭が伍子胥に伯嚭が信頼できるかを問うたのに応えたもの。伍子胥も伯嚭も、からの亡命者であり、親族を殺された「同病」「同憂」の関係であったため、伍子胥は、楚を責めるための人材として有用と、闔閭に推薦した。なお、その後、二人は闔閭を助け、楚を攻め滅ぼす寸前までに至るが、闔閭死後、伯嚭は伍子胥を裏切り、結果、呉は越に滅ぼされることとなる。

同義句[編集]

翻訳[編集]