国士無双

出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

國士無雙 および 国士无双 も参照。

日本語[編集]

成句[編集]

   (こくしむそう)

  1. の中で並ぶもいないほど優れ人物のこと。韓信を評した言葉「諸将易得耳、至如信者、国士無双」に始まる。下記「出典」を参照。
  2. マージャンあがり役老頭牌(一と九の数牌)と字牌を1枚ずつ揃えた上で、そのうちのいずれか1種を雀頭としたもの。役満貫。略称、コクシ
    • 以下は一例。
      一萬一萬九萬一索九索一筒九筒東南西北白發中

発音[編集]

こ↗くしむ↘そーこ↘くしむ↗そー

出典[編集]

司馬遷史記巻92 淮陰侯列伝第32

【白文】
上拜以爲治粟都尉、上未之奇也。信數與蕭何語、何奇之。至南鄭、諸將行道亡者數十人。信度何等已數言上、上不我用、即亡。何聞信亡、不及以聞、自追之。人有言上曰、「丞相何亡」。上大怒、如失左右手。
居一二日、何來謁上。上且怒且喜、罵何曰、「若亡、何也」。何曰、「臣不敢亡也。臣追亡者」。上曰、「若所追者誰」。何曰、「韓信也」。
上復罵曰、「諸將亡者以十數、公無所追、追信詐也」。何曰、「諸將易得耳。至如信者、國士無雙。王必欲長王漢中、無所事信。必欲爭天下、非信無所與計事者。顧王策、安所決耳」。
王曰、「吾亦欲東耳。安能鬱鬱久居此乎」。何曰、「王計必欲東、能用信、信即留、不能用、信終亡耳」。王曰、「吾爲公以爲將」。何曰、「雖爲將、信必不留」。王曰、「以爲大將」。何曰、「幸甚」。
於是王欲召信拜之。何曰、「王素慢無禮。今拜大將、如呼小兒耳。此乃信所以去也。王必欲拜之、擇良日、齋戒、設壇場、具禮、乃可耳」。王許之。
諸將皆喜、人人各自以爲得大將。至拜大將、乃韓信也。一軍皆驚。
【訓読文】
しゃう、拝して以て治粟都尉(ちぞくとゐ)すも、上、未だこれとせざるなり。しばしば蕭何語り、何、之を奇とす。南鄭に至り、諸将行くぐる数十人なり。信、何已にしばしば上に言ふも、上、もちゐざるをはかり、即ち亡ぐ。何、信の亡ぐるを聞き、以てぶんするに及ばず、自ら之を追ふ。人の上に言ふ有り曰く、「丞相の何、亡ぐ」と。上、大いに怒り左右失ふ如し
居ること一二日、何、来りて上に謁す。上、且つ怒り且つ喜び、何を罵りて曰く、「なんぢの亡ぐるは何ぞや」と。何曰く、「敢へて亡げざるなり。臣、亡ぐる者を追へり」と。しゃう曰く、「なんじ追ひたれぞ」と。何曰く、「韓信なり」と。
上、た罵りて曰く、「諸将の亡ぐる者は十を以てかぞふるに、、追ふ所無し。信を追ふとは詐りなり」と。何曰く、「諸将は易きのみ。信の如き者に至りては国士にしてならきなり。必ず長く漢中に王たらむと欲せば、信をもちゐる所無し。必ず天下争はむと欲せば、信に非ざれば、とも計る所の者無し。王の策を顧みるに、安れの所にか決せむ」と。
王曰く、「われまたせむと欲す。安くんぞ能く鬱鬱として久しくに居らむや」と。何曰く、「王の必ず東せむと欲せば、能く信を用ふ。信、即ち留まらむ。用ゐることあたはざれば、信、つひに亡ぐるのみ」と。王曰く、「吾、公の為に以て将と為さむ」と。何曰く、「将と為すと雖も、信、必ず留まらざらむ」と。王曰く、「以て大将と為さむ」と。何曰く、「幸甚なり」と。
是に於て王、信を召し之を拝せむと欲す。何曰く、「王、素よりにして無礼なり。今、大将を拝するに、小児呼ぶが如きのみ。此れすなはち信の去る所以ゆゑんなり。王、必ず之を拝せむと欲せば、良日択び斎戒し、壇場設け具へば、乃ち可ならむ」と。王、之を許す
諸将、皆喜び、人人おのおの自ら以て大将を得たりと為す。大将を拝するに至れば、乃ち韓信なり。一軍、皆驚く
【現代語訳】
お上劉邦)は、治粟都尉(ちぞくとい)の位を(韓信に)与えたが、この時はまだ彼を逸材と見做したわけではなかった。韓信はしばしば蕭何と語り合い、蕭何は彼を逸材と見做した。南鄭に着いた時には、(劉邦の配下の)諸将のうち、道中で逃亡した者は数十人にのぼった。韓信は、蕭何らが既にしばしばお上に推挙してくれてはいるが、お上が自分を取り立ててはくれまいと察して、直ちに逃亡した。蕭何は、韓信が逃亡したと聞くと、劉邦に断りを入れる暇もなく、自ら韓信を追った。これをお上に注進する者がいて、「丞相の蕭何が逃亡しました」と報告した。お上は激怒し、(落胆して)左右の手を失ったようであった。
一、二日ほど経って、蕭何が戻ってお上に拝謁した。お上は、腹立たしいやら嬉しいやらで、蕭何を罵って言った、「お前が逃亡したのは何故だ」。蕭何は言った、「私は決して逃亡などしておりません。私は逃亡した者を追っていたのです」。お上は言った、「君が追っていたのは誰だ」。蕭何は言った、「韓信です」。
お上はさらに罵って言った、「諸将のうち逃亡した者は何十人もいるというのに、君は(彼らを)追わなかったではないか。韓信を追ったというのはだ」。蕭何は言った、「諸将を得るのは容易いことです。しかし韓信のような者となると、国家に二人といない人材です。王様がいつまでも漢中の王に甘んじるおつもりならば、韓信を用いる必要はありません。しかし天下を争うおつもりならば、韓信でなければ、共に計略を巡らすことのできる者はございません。王様の今後の作戦について考えますに、どちらに決めるおつもりでしょうか」。
王(劉邦)は言った、「私も東方を平定したいと思っている。どうしていつまでもこのような所に気の晴れないまま留まっていられようか」。蕭何は言った、「王様が東方を平定したいのであれば、韓信を存分に用いてください。韓信はきっと留まってくれるでしょう。用いることができなければ、韓信は結局逃亡するでしょう」。王は言った、「君の意見を容れて、(韓信を)将軍にしよう」。蕭何は言った、「将軍にしたところで、韓信は、決して留まらないでしょう」と。王は言った、「大将にしよう」。蕭何は言った、「幸いに存じます」。
そこで王は、韓信を召し出して大将の位を与えようとした。蕭何は言った、「王は、日頃から傲慢かつ無礼でいらっしゃいます。これから大将の位を与えるというのに、子供を呼び付けるような態度です。これだから韓信は逃亡するのです。王様が大将の位を与えようとするのであれば、吉日を選び、身を清め、壇場を設け、礼物をお供えして、はじめて可能となるのです」と。王はこれを許可した。
諸将は皆喜び、それぞれ自分が大将の位を得るものと思い込んだ。いざ大将の位を授かる時が来ると、(大将になったのは)韓信であった。一軍の者は、皆驚いた。

翻訳[編集]