出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』
宋襄の仁(ソウジョウのジン)
- (中国春秋時代の一国宋の襄公が示した思いやり「仁」より)敵に無用の情けをかけ、結局、不利益を受けること。
- 君の言大いに好し、われ過てり、われは情もろく、氣弱く、人を見れば、たゞ氣の毒が先に立ち、よろづ己れに克つ能はず、宋襄の仁、尾生の信、竟に大仁大信なる能はずといへば、道別傍らより、然し來城君、その短所は、一方に於て、大町君の美を爲すなりといふ。(大町桂月『獨笑記』)
- 旺盛な敵愾心とは、敵のなかの「敵」を徹底的に憎むことであり、そのなかに「敵ならざるもの」があるといふ理由で、苟くも敵に気をゆるすが如き「宋襄の仁」を排撃する精神を云ふのである。(岸田國士『空地利用』)
『春秋左氏伝・僖公二十二年』(s:子魚論戰)
- 【白文】
- 宋人既成列,楚人未既濟。司馬曰、「彼衆我寡,及其未既濟也,請擊之!」公曰、「不可。」既濟而未成列,又以告。公曰、「未可。」既陳而後擊之,宋師敗績。公傷股,門官殲焉。國人皆咎公。公曰、「君子不重傷,不禽二毛。古之為軍也,不以阻隘也。寡人雖亡國之餘,不鼓不成列。」
【訓読文】
- 宋人既に列を成すに、楚人未だ濟り既へず。司馬曰はく、「彼衆く我寡なし,其の未だ濟り既へずに及びて也,請ふ之を擊たん」と、公曰はく、「可ならず。」、濟り既へて而未だ列を成さず,又以って告ぐ。公曰はく、「未だ可ならず。」陳を既へ後に之を擊つ,宋師敗を績む。公股を傷す,門官殲ぶ。國人皆公を咎む。公曰はく、「君子は傷を重ねず、二毛を擒にせず。古の軍を為すや、隘に阻するをもちいず。寡人亡国の餘と雖ども、列を成さざるに鼓せず」
【現代語訳】
- 宋の軍隊は整列を終えていたところ、楚の軍隊は、まだ川を渡っていた。将軍は、「敵は多数で、こちらは少数です。まだ敵は川を渡り終えていません、ここで攻撃しましょう」と進言した。襄公は「だめだ」と許さなかった。(楚軍は)川を渡り終えたが、まだ整列していなかった。将軍は、又攻撃を進言したが、襄公は「まだ、だめだ」と許さなかった。相手が布陣を終えた後に攻撃した。宋軍はさんざんに敗れ、襄公も股に怪我を負い、多くの将兵を失った。宋国の民は、皆襄公をとがめた。襄公は言った、「君子は傷ついた相手を重ねて傷つけることはせず、老兵を捕らえたりもしない。古の戦いにおいては、逃げ場のない狭い場所で相手を攻撃したりはしない。私は亡国の子孫ではあるが、隊列を整えぬ相手を攻撃するようなことはしない」と。
【解説】
- 春秋時代、宋に関する泓水の戦いにおける故事。宋は、殷の遺民を封じた国(本文中「亡國之餘」)で、古臭い儀礼因習の国と言う認識があり、それをあざけったものと言える。しかしながら、孔子や孟子は、礼に適った態度として評価しており、孟子は襄公を春秋五覇に数えるほどである。その影響もあってか、司馬遷も史記においては、同情的に描いている。