拉致
ナビゲーションに移動
検索に移動
日本語
[編集]語誌
[編集]語源
[編集]- 和製漢語である。古い用例は見つかっておらず、明治時代の新語と考えられる。「拉する」と「羅致(する)」の混淆か。日本では「羅致」は官憲などによる容疑者の拘引の意味で用いることがあった(森鴎外『かのやうに』1912年、『大塩平八郎』1914年)。
読み
[編集]- 「拉」の読みはは呉音「ろふ(ロー)」漢音「らふ(ロー)」、「らふ」が促音化した際は「らつ(ラッ)」である[1]。したがって、「拉致」は本来「らち」とは読めない。
- 上記『凱旋紀念帖』では「らうち」とルビがふられている。誤植か。
- 1927年の幸田露伴「暴風裏花」(『竜姿蛇姿』所収)では「拉致」に「らふち」というルビが付されている。しかし1943年の『史傳小説集』では「らち」に改められている。
- 上記の『丙寅 大正茶道記』など戦前の出版物にもすでに「らち」とルビを振った例が見られる。また日本放送協会が1939年に作成した内部資料によれば、当時のラジオ放送では「らち」と読まれていた[2]。
意味の変遷
[編集]- 現在は「人を、無理矢理にかつ非合法に」連れ去ることのみを指す。かつては対象をを問わず、また強制的であるか否かを問わず「引っぱってくること/引っぱってゆくこと」という意味で使われていた。
- 戦前には「羅致」の通用表記のように用いられた例がある(上記)。逆に「羅致」は「拉致」のように用いられることがあった(上記)。
発音
[編集]名詞
[編集]- 持ち去ること。連れ去ること。拉すること。
- 「終に舊歴十月三日夜十時を以て、連順副都統の洋槍兵之を西門外に拉致し斬に處す」(陸海軍士官素養會編『凱旋紀念帖(地)』1895年」)
- 「濫りに山神愛惜の名卉(めいき)を拉致(らつち)し来る、花に対して忸怩たらずんば非ず」
- 「二葉の前即ち腹心の徒を縦(はな)ちて、小簾(をす)を山麓に拉致(らつち)せしめ」(前田曙山『高山植物叢書』第一巻、1907年)
- 「ホルステンゴール附近に於て外蒙兵不法越境し、作業中の關東軍測量手及び露人一名その他機材を拉致した。」(日蘇通信社『蘇聯邦年鑑 日滿支ソ關係の部』1940年)
- 人材を招くこと。招聘。羅致。
- 「即ち大に門戸を開いて,眞個政治家の資質ある人士を拉致するの外に無いのである」(建部遯吾「政党の革新」『太陽』1909年5号)
- 集めること。羅致。
- 「今後なほハイスクールの學生を醫學校に拉致する必要のありとせば」(文部省『北米合衆国及加奈太に於ける医学教育』1918年)
- 「以前は、農民を拉致せんがために、面白き話を聞かする事に骨を折りしも」(文部省実業学務局『米国に於ける農業教育』1919年)
- 誰かの言葉を資料として引くこと。引用。
- 「吾人は吾人の記憶を新にせんが爲には、今更に該決議を再び拉致し來るの必要なるを覺ゆる」(満鐵調査課「治外法權會議の顚末」『調査時報』第六巻第十一號、1926年)
- 連れて来ること。招くこと。引致。招致。
- 「臍の緒切つて初めて茶席に入る者なりと自稱する荒大名なるを、何の苦も無く茶席に拉致(らち)し來りたる當主人の腕力には只管驚嘆の外無かつた」(高橋義雄『丙寅 大正茶道記』1928年)
- 引き寄せること。
- 「是れまで對米外交談判に見ても、始終老中の意見は、直接交渉の任に在つた應接掛の意見に拉致されたの観があつたのであるが」(横浜市役所『横浜市史稿 政治編二』1931年)
- 捕えて役に就けること。徴用。
- 「これを奇貨可居となし私服軍人や公安局員が、良民をオドかして軍夫に拉致するマネをして金錢をせしめた」(一色忠慈郎『支那社會の表裏』1931年)
- 捉えること。捕捉。
- 「營業收益税の免税點以下のものを摑へることと營業收益税の賦課をうけない營業を拉致することを目的としている」(大阪毎日・東京日日新聞社エコノミスト部『租税読本』1937年)
- 暴力や脅迫で人を無理矢理連れ去ること。人身の略取。
- 「つづいてそこへどかどかと捕吏や武士など大勢、土足のままはいって来た。否応もない。陳大夫父子は、その場から拉致(らっち)されて行った」(吉川英治『三国志』「草莽の巻」1939年-1943年、中外商業新報(現・日本経済新聞)連載)
類義語
[編集]翻訳
[編集]- 英語:(語義9)abduction, kidnapping
- 中国語:(語義9)綁架, 綁劫
動詞
[編集]活用と結合例
朝鮮語
[編集]名詞
[編集]- (日本語に同じ)拉致。
典拠・注釈
[編集]- ↑ p入声のフツ相通。同様の読みとして他に「合致」(がふ→がつ)、「雑誌」(ざふ→ざつ)など。
- ↑ 『戦前の放送用語委員会における“伝統絶対主義”からの脱却』 - NHK放送文化研究所