流連荒亡

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日本語[編集]

成句[編集]

   (りゅうれんこうぼう)

  1. 遊興狩猟飲酒などに耽ること。「流連」も「荒亡」も「遊興に耽ること」の意[1][2]

発音[編集]

  • (東京式) りゅうれんこーぼー [ryùúréńkóóbóó] (平板型 – [0])
  • IPA(?): [ɾʲɨᵝːɾẽ̞ŋko̞ːbo̞ː]

動詞[編集]

出典[編集]

孟子巻2・梁恵王章句下

【白文】
齊宣王見孟子於雪宮。王曰、「賢者亦有此樂乎」。
孟子對曰、「有。人不得、則非其上矣。不得而非其上者、非也。爲民上而不與民同樂者、亦非也。樂民之樂者、民亦樂其樂。憂民之憂者、民亦憂其憂。樂以天下、憂以天下。然而不王者、未之有也。昔者齊景公問於晏子曰、『吾欲觀於轉附朝儛、遵海而南、放於琅邪。吾何脩而可以比於先王觀也』。晏子對曰、『善哉問也。天子適諸侯曰巡狩。巡狩者、巡所守也。諸侯朝於天子曰述職。述職者、述所職也。無非事者。春省耕而補不足、秋省斂而助不給。夏諺曰、吾王不游、吾何以休。吾王不豫、吾何以助。一遊一豫、爲諸侯度。今也不然。師行而糧食、饑者弗食、勞者弗息。睊睊胥讒、民乃作慝。方命虐民、飲食若流。流連荒亡、爲諸侯憂。從流下而忘反、謂之、從流上而忘反、謂之、從獸無厭、謂之、樂酒無厭、謂之。先王無流連之樂、荒亡之行。惟君所行也。景公說、大戒於國、出舎於郊。於是始興發補不足、召大師曰、『爲我作君臣相說之樂』。蓋徴招角招是也。其詩曰、『畜君何尤』。畜君者好君也」。
【訓読文】
宣王、孟子を雪宮に見る。いはく、「賢者また楽しみ有るか」と。
孟子、こたへて曰く、「有り。得ずば、すなはの上をそしる。ずして其の上を非る者は、非なり。の上とりて民と楽しみを同じくせざる者も、亦非なり。民の楽しみを楽しむ者、民も亦其の楽しみを楽しむ。民のうれひをうれふる者、民も亦其の憂ひを憂ふ。楽しむにも天下ともにし、憂ふにも天下と以にす。然くして王たらざる者、未だこれ有らざるなり。
昔者むかし景公晏子問ひて曰く、『、転附・朝儛を観し、したがひてし、琅邪にいたらむと欲す。吾、何ををさめてか以て先王の観に比すき』と。晏子対へて曰く、『善きかな問ひや。天子諸侯くを巡狩と曰ふ。巡狩とは、守る巡るなり。諸侯天子に朝するを述職と曰ふ。述職とは、つかさどる所を述ぶるなり。非ざる無し耕す足らざるを補ひをさむるを省てらざるを助く
夏の諺に曰く、「が王あそばずば、吾を以てかいこはむ。吾が王たのしまずば、吾何を以てか助からむ」と。一遊一豫(いちいういちよ)諸侯る。今は然らず。師行きて糧食し、飢ふる食はず、つかるる者いこはず。睊睊けんけんとしてあひそしり、民すなはうらみをす。さからひ民を虐げ飲食すること流るるがごとし。流連荒亡、諸侯の憂ひと為る。流れに従ひ下りかへるを忘るひ、流れに従ひ上りて反るを忘る、之をと謂ひ、かり従ひ厭く無き、之をと謂ひ、を楽しみ厭く無き、之をと謂ふ。先王、流連の楽しみと荒亡行ひと無かりき。だ君の行ふ所なり』と。
景公よろこびて、おほひにげ、出でやどる。に於て始めてくらひらきて足らざるを補ひ、大師召して曰く、『我が君臣相說ぶの作れ』と。けだし徴招・角招是れなり。其のに曰く、『とどむる何ぞとがめむ』と。君を畜むる者は君をよみすればなり」。
【現代語訳】
宣王が、孟子と雪宮(せつきゅう)[3]にて会見した。王が言った、「賢者にも、このような(宮殿を愛でるような)楽しみがあるのか」と。
孟子が答えて言った、「ございます。人民は(楽しみを)得られなければ、上に立つ者をそしるものです。(楽しみを)得られないからといって上の者を謗るのは、良くないことです。(しかし)人民の上に立っていながら人民と楽しみを分かち合わないのもまた、良くないことです。人民の楽しむのを見て楽しめば、人民も君主の楽しむのを見て楽しむものです。人民の心配するのを見て心配すれば、人民も君主の心配するのを見て心配するものです。楽しむ際にも天下と共に楽しみ、心配する際にも天下と共に心配するのです。このようにして王でいられなかった者は未だかつてございません。
昔、景公晏子にこう質問しました、『私は、転附(てんぷ)や朝儛(ちょうぶ)巡遊し、海岸に沿って南下し、琅邪(ろうや)まで行きたいと思っている。どうしたら先王たちに引けを取らない巡遊ができるだろうか』と。晏子は答えて言いました、『良いご質問です。天子が諸侯の領地に行くことを巡狩(じゅんしゅ)と言います。巡狩とは、諸侯の守っている所を巡視するという意味です。諸侯が天子のもとに参ることを述職(じゅつしょく)と言います。述職とは、自らの職務について天子に述べるという意味です。(これらはいずれも、)用事もないのに行くものではないのです。春には耕作の様子を視察して、不足しているものがあれば補い、秋には収穫の様子を視察して、不足しているものがあれば援助するのです。
の時代のことわざにはこうあります、「我が王が巡遊しなければ、我々はどうやって憩えばよいのか。我が王が(当地においでになって)楽しまなければ、我々はどうして助けてもらえようか」と。(昔は、先王の)一度の巡遊、一度の楽しみが、そのまま諸侯の手本となったのです。現在はそうではありません。大軍を引き連れては(現地の人民から)糧食を徴発するので、人民は飢えていても食物にありつけず、疲れても休むことができません。人民は目をいからせて互いに不満を口にし、(君主への)恨みを募らせるのです。(にもかかわらず、昨今の君主は)先王の教えに逆らって人民を虐げ、水の流れのように際限なく飲食します。流連荒亡は、諸侯にとって悩みの種となっているのです。川の流れに従って下り、帰るのを忘れること、これをと言い、川の流れを遡って帰るのを忘れること、これをと言い、狩りに夢中になって飽きないこと、これをと言い、酒を楽しんで飽きないこと、これをと言います。先王には流連の楽しみも荒亡の行いもありませんでした。(立派な巡遊ができるかどうかは)ただ王様の行い次第です』。
景公は喜び、(国政を改革する旨を)全国に布告し、(視察のため)宮殿を出て郊外に宿泊し、ここに初めて穀倉を開いて(民の食糧の)不足を補いました。また、楽官の長を呼んで、『私のために、君主と臣下が共に喜ぶ楽曲を作れ』と言いました。思うに、徴招(ちしょう)・角招(かくしょう)の二曲がそれでしょう。その歌詞には、『(臣下が)君主(の欲)を止めたが、どうして咎める必要があろうか』とあります。君主の欲望を止めるのは、君主を愛すればこそなのです」。

脚注[編集]

  1. 上田万年松井簡治『大日本国語辞典』 金港堂書籍、第4巻、1919年12月18日、紙面1424ページ、デジタル635ページ、全国書誌番号:43022818、国立国会図書館デジタルライブラリー pid 954648/635
  2. 上田万年松井簡治『大日本国語辞典』 金港堂書籍、第2巻、1916年10月23日、紙面163ページ、デジタル84ページ、全国書誌番号:43022818、国立国会図書館デジタルライブラリー pid 954646/84
  3. 斉の国都・臨淄(りんし)の北東六里に位置する離宮。