敷居が高い

出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』
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日本語[編集]

発音[編集]

成句[編集]

敷居しきいたか(異表記:閾が高い

  1. (家や集団などに)心情的に入りづらい。訪れるのがためらわれる。
    • 左官の長兵衞は、吉原土手から大門おおもん這入りまして、京町一丁目の角海老楼かどえびろうの前まで来たが、馴染うちでも少し極りが悪く敷居が高いからおびえながら這入って参り、窮屈そうに固まって隅の方へ坐ってお辞義をして、/長「お内儀かみさん、誠に大御無沙汰をして極りがわるくって、んだかうもね……(略)(三遊亭圓朝『文七元結』)〔1925年〕
    • この家はの戸を開けると一歩も踏み込まないのに、すぐまた玄関の戸を開けねばならぬという風な、奇妙な面倒さを私は感じ敷居も年毎に高くなったが、出て来るみと子夫人の笑顔だけは最初のときと少しも変らなかった。 (横光利一『睡蓮』)〔1898年 - 1947年〕
    • 平生は行ったこともない敷居の高い家の玄関をでもかまわず正面からおとずれて、それとなく家居のさまを見るという一種の好奇心のようなものがこれらの小さいこじきたちの興味中心であったように見える。 (寺田寅彦『自由画稿 こじきの体験』)〔1935年〕
    • Yはその後も度々故郷へ行ったり上京したりしたが、傷持つ足の自ずと閾が高くなって、いつも手紙をよこすだけでそれぎり私の家へは寄り附かなくなった。 (内田魯庵『三十年前の島田沼南』)〔1923年〕

類義語[編集]

用法[編集]

  • 「敷居が高い」は「不義理などがあるために、負い目を感じ、その人の家を訪れるのに気が進まない」という意味で使うのが本来の用法とされる。「(まだ訪れたことのない家や集団が高級そうに見えたり、程度が高そうに見えるために)自分はそこに入るのにふさわしくないと感じる」などの含意をもたせるのは誤用とされる[1][2]
  • 一方で、遅くとも1945年以降には「近寄りにくい」の意味で、1980年代には「気軽に体験できない」の意味での用例があり、「敷居が高い」を不義理などを理由とする場合に限って用いるのが正しいとすることに、特に正当性はないという指摘がある[3]。2014年出版の三省堂国語辞典第七版では、「敷居が高い」を高級店などに気軽には入れないといった意味で使うことについて、誤用とする注記を削除した[4]

参考文献[編集]

  1. 『連載「言葉のQ&A」「敷居が高い」の使い方 』、文化庁月報 平成23年4月号(No. 511)
  2. 神永曉『日本語、どうでしょう?』第174回 「敷居が高い店」はあるのか? 2013年8月26日
  3. 辞書を作っている人ってどんな人? 辞書を編む人 飯間浩明さんにインタビュー、ちいき新聞web編集T(2018年1月26日)ちいき新聞web、2018年2月17日参照
  4. 「高級すぎて敷居が高い店」は誤用?、岩佐義樹(2015年9月26日)毎日ことば、2018年2月17日参照