「光陰矢の如し」の版間の差分
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#[[月日]]が[[すぎる|過ぎる]]のは[[や|矢]]のように[[はやい|速い]]事の例え。 |
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#:[[維新]]の頃より[[今日]]に至るまで、諸藩の有様は現に[[今人]]の[[目撃]]するところにして、これを記すはほとんど[[無益]]なるに似たれども、'''光陰矢のごとく'''、今より五十年を過ぎ、顧て明治前後日本の藩情[[如何]]を[[詮索]]せんと欲するも、[[茫乎]]としてこれを求るに難きものあるべし。([[w:福沢諭吉|福沢諭吉]] 『旧藩情』) |
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2016年12月31日 (土) 18:54時点における版
日本語
ことわざ
翻訳
- 英語:Time flies (like an arrow).
- アイスランド語:tíminn flýgur
- フランス語:Le temps file
- ラテン語:tempus fugit
- ロシア語:время летит
- 中国語:光阴似箭
その他の用例
- 光陰如箭夏過半。(『景徳傳燈録』巻第三)
- 秋來庭下,光陰如箭,似無言,有意傷儂。(蘇軾)
- 日月過箭疾。公今未有田,把筆耕六籍。(黄山谷)
- 光陰如箭如流水。散亂全因缺定門。(『定慧相資歌』)
- 古詩曰。四時更代謝。日月遞差馳。蓋言二歳月之易一レ過也。況到二暮齢一。光陰如二征箭一、時節如二流水一。衰残之軀。取レ楽之工夫。須下以二一日一為二十日一。以二一月一為中一年上。若不レ然。縦雖三幸天假二百年一如二白駒過一レ隙耳。残喘須臾之際。苟徒爾而終レ身。雖二悔恨噬一レ臍。何益之有。 (『慎思錄』巻之二)
- 古語に、光陰箭の如く、時節流るゝが如し。又曰、光陰惜むべし、是を流水に譬ふと云へり。月日のはやき事、年々にまさる。一度行きて帰らざる事、流水の如し。今年の今日の今時、再帰らず。なす事なくて、等閑に月日を送るは、身をいたづらになすなり。惜むべし。大禹は聖人なりしだに、猶寸陰を惜み給へり、況や末世の凡人をや。聖人は尺璧を尊ばずして、寸陰を惜むとも云へり。少年の時は、記性強くして、中年以後数日に覚ゆる事を、唯一日半日にも覚えて、身を終るまで忘れず。一生の宝となる。年老いて後悔なからんことを思ひ、小児の時、時日を惜みて、いさみ勤むべし。かようにせば、後悔なかるべし。 (『和俗童子訓 巻三』)