「的を得る」の版間の差分

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====語誌====
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*1970年頃に一般的になった言い回しで、「'''[[的を射る]]'''」を用いるつもりで、似た成句「'''[[当を得る]]'''」等と混同したものであり、一種の誤用と多くの国語学者等に理解され、[[w:三省堂国語辞典|三省堂国語辞典]]及び[[w:大辞泉|大辞泉]]はその旨を記載、その他、文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」においては、誤用を前提とする調査が実施されている。しかし、その他の辞書においては、明確に誤用との判断はなく、三省堂国語辞典も第7版において普通の言葉とした。
*1970年頃に一般的になった言い回しで、「'''[[的を射る]]'''」を用いるつもりで、似た成句「'''[[当を得る]]'''」等と混同したものであり、一種の誤用と多くの国語学者等に理解され、[[w:三省堂国語辞典|三省堂国語辞典]]及び[[w:大辞泉|大辞泉]]はその旨を記載、その他、文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」においては、誤用を前提とする調査が実施されている。しかし、その他の辞書においては、明確に誤用との判断はなく、三省堂国語辞典も第7版において普通の言葉とした。
*だが三省堂国語辞典は記述主義を標榜する辞書であり、後述する「中正鵠」という言葉の存在を知らなかったようだ。
<!--*だが三省堂国語辞典は記述主義を標榜する辞書であり、後述する「中正鵠」という言葉の存在を知らなかったようだ。-->
*元になったのであろうとされる言い回し「的を射る」も1900年頃に出た言葉で、一般的になるのは戦後、難解な漢語「[[正鵠]]」を「的」に変えた可能性はあるが、「的を射る」という言葉自体が1250年ごろには使われていることから、正鵠とは別個に誕生した可能性は十分ある。「[[正鵠を射る]]」より「[[正鵠を得る]]」が正しい表現とされるため、「的を得る」も同様に受け入れられたものか。
*元になったのであろうとされる言い回し「的を射る」も1900年頃に出た言葉で、一般的になるのは戦後、難解な漢語「[[正鵠]]」を「的」に変えた可能性はあるが、「的を射る」という言葉自体が1250年ごろには使われていることから、正鵠とは別個に誕生した可能性は十分ある。「[[正鵠を射る]]」より「[[正鵠を得る]]」が正しい表現とされるため、「的を得る」も同様に受け入れられたものか。
*なお、「[[まとはずれ|的外れ]]」・「[[的を外す]]」・「[[的が外れる]]」の表現は江戸時代には見られる表現である。
*なお、「[[まとはずれ|的外れ]]」・「[[的を外す]]」・「[[的が外れる]]」の表現は江戸時代には見られる表現である。
*的を得るの基となった言葉は正鵠を得るであり、正鵠を得るの基となった言葉は正鵠を失わずであり、正鵠を失わずの元となった言葉は『礼記』の「不失正鵠」という言葉である。
<!--*的を得るの基となった言葉は正鵠を得るであり、正鵠を得るの基となった言葉は正鵠を失わずであり、正鵠を失わずの元となった言葉は『礼記』の「不失正鵠」という言葉である。
だが漢語の「失」は「うしなう/lost」以外にも「それる/すべる/はずれる/miss」の意味があり、対義語は「える/get」の「得」ではなく、「あたる/hit」の「中」。
だが漢語の「失」は「うしなう/lost」以外にも「それる/すべる/はずれる/miss」の意味があり、対義語は「える/get」の「得」ではなく、「あたる/hit」の「中」。
「失正鵠」の対義語は「得正鵠」ではなく「中正鵠」であることから、「的を得る」の基の「正鵠を得る」の基の「正鵠を失わず」は本来この世に存在しえない言葉、外国語の誤訳
「失正鵠」の対義語は「得正鵠」ではなく「中正鵠」であることから、「的を得る」の基の「正鵠を得る」の基の「正鵠を失わず」は本来この世に存在しえない言葉、外国語の誤訳
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*江戸時代に「的を得る」の用例が一件だけあるが、「正鵠」は江戸時代よりはるか昔に日本に伝来し、江戸時代に「正鵠」に「まと」の振り仮名があることが散見されていることから、的を得るが外国語の誤訳である正鵠を得るの影響を受けずに誕生したとは考えにくい。また的を射ると言う言葉が的を得るのはるか昔に使われており、辞書に的を射るより遅れて載ったことから一般化していたという考え方は不自然である。
*江戸時代に「的を得る」の用例が一件だけあるが、「正鵠」は江戸時代よりはるか昔に日本に伝来し、江戸時代に「正鵠」に「まと」の振り仮名があることが散見されていることから、的を得るが外国語の誤訳である正鵠を得るの影響を受けずに誕生したとは考えにくい。また的を射ると言う言葉が的を得るのはるか昔に使われており、辞書に的を射るより遅れて載ったことから一般化していたという考え方は不自然である。
*日中で意味が違う漢字は多くある。その理由は既に作られている漢字か確認せずに作ってしまったり、日本人が「この漢字の意味はこうに違いない」と推測で決めてしまったからである。
*日中で意味が違う漢字は多くある。その理由は既に作られている漢字か確認せずに作ってしまったり、日本人が「この漢字の意味はこうに違いない」と推測で決めてしまったからである。
*インターネット上では2000年代から議論されている。
*インターネット上では2000年代から議論されている。-->
2000年代に駿河台予備校世界史講師の中谷臣が、自身のブログで「的を得るは正しい」と唱えたことがネットでの議論の発端である。
<!--2000年代に駿河台予備校世界史講師の中谷臣が、自身のブログで「的を得るは正しい」と唱えたことがネットでの議論の発端である。
中谷の論は今までの外国語の専門家ではない、日本語の専門家が唱えてきた「漢語の不失正鵠、訓読で正鵠を失わず、失うの対義語で正鵠を得る、正鵠と同義で的を得ると変化したから元来正しい」という論と同一のものである。
中谷の論は今までの外国語の専門家ではない、日本語の専門家が唱えてきた「漢語の不失正鵠、訓読で正鵠を失わず、失うの対義語で正鵠を得る、正鵠と同義で的を得ると変化したから元来正しい」という論と同一のものである。
漢語に詳しいネットユーザーからは鼻で笑われていたが、専門知識を持たないネットユーザーからは評価され、それなりに話題になっていた。
漢語に詳しいネットユーザーからは鼻で笑われていたが、専門知識を持たないネットユーザーからは評価され、それなりに話題になっていた。 -->
後、「的を得るは元々誤った表現ではない」と主張する個人ブログ「BIFFの亜空間要塞」が誕生。こちらも評価され、それなりに有名になった。
<!--%%%%%個人ブログの紹介はコメントアウトします。%%%%% *「的を得るは元々誤った表現ではない」と主張する個人ブログ「BIFFの亜空間要塞」が誕生。こちらも評価され、それなりに有名になった。2010年代になり、そのブログは「辞書で最初に的を得るを誤りとした『三省堂国語辞典』が最新版で誤りを撤回したから、的を得る誤用説は俗説と確定した」と主張
そして東京大学准教授の堀江宗正が自身のツイッターでそのブログを紹介すると、ブログ及び三省堂国語辞典の論が一気に拡散。現在ではネットの情報サイト・個人ブログ・ツイッターなどのSNSはもちろんのこと、ラジオやテレビ番組でもそのブログの論と三省堂国語辞典の論が「正しい見解として」紹介されるまでにいたった。-->
2010年代になり、そのブログは「辞書で最初に的を得るを誤りとした『三省堂国語辞典』が最新版で誤りを撤回したから、的を得る誤用説は俗説と確定した」と主張。
*だが文化庁及び複数の辞書出版社が「三省堂国語辞典に追随して見解を改めることは無い」と否定している<!--ことが、個人ブログ『スライム国のおへや 的を得る元来正当論を滅ぼすためのブログ』でメール画像の公開によって明らかになっている-->
そして東京大学准教授の堀江宗正が自身のツイッターでそのブログを紹介すると、ブログ及び三省堂国語辞典の論が一気に拡散。
現在ではネットの情報サイト・個人ブログ・ツイッターなどのSNSはもちろんのこと、ラジオやテレビ番組でもそのブログの論と三省堂国語辞典の論が「正しい見解として」紹介されるまでにいたった。
*だが文化庁及び複数の辞書出版社が「三省堂国語辞典に追随して見解を改めることは無い」と否定していることが、個人ブログ『スライム国のおへや 的を得る元来正当論を滅ぼすためのブログ』でメール画像の公開によって明らかになっている。
=== 外部サイトへのリンク ===
=== 外部サイトへのリンク ===
* スライム国のおへや 的を得る元来正当論を滅ぼすためのブログ:[http://surakokuheya.blog.fc2.com/]
* スライム国のおへや 的を得る元来正当論を滅ぼすためのブログ:[http://surakokuheya.blog.fc2.com/]

2017年4月5日 (水) 07:33時点における版

日本語

成句

まと

  1. 話題に即したり、真実をついた的確な発言や応答などをする。

語誌

  • 1970年頃に一般的になった言い回しで、「的を射る」を用いるつもりで、似た成句「当を得る」等と混同したものであり、一種の誤用と多くの国語学者等に理解され、三省堂国語辞典及び大辞泉はその旨を記載、その他、文化庁が発表した平成24年度「国語に関する世論調査」においては、誤用を前提とする調査が実施されている。しかし、その他の辞書においては、明確に誤用との判断はなく、三省堂国語辞典も第7版において普通の言葉とした。
  • 元になったのであろうとされる言い回し「的を射る」も1900年頃に出た言葉で、一般的になるのは戦後、難解な漢語「正鵠」を「的」に変えた可能性はあるが、「的を射る」という言葉自体が1250年ごろには使われていることから、正鵠とは別個に誕生した可能性は十分ある。「正鵠を射る」より「正鵠を得る」が正しい表現とされるため、「的を得る」も同様に受け入れられたものか。
  • なお、「的外れ」・「的を外す」・「的が外れる」の表現は江戸時代には見られる表現である。
  • だが文化庁及び複数の辞書出版社が「三省堂国語辞典に追随して見解を改めることは無い」と否定している。

外部サイトへのリンク

  • スライム国のおへや 的を得る元来正当論を滅ぼすためのブログ:[1]