後生畏るべし

出典: フリー多機能辞典『ウィクショナリー日本語版(Wiktionary)』
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日本語[編集]

成句[編集]

後生コウセイおそべし

  1. 年若のものであるからと言って、それだけで侮るべきではなく、将来いかなる人物に成長するか測りがたいので、畏敬をもって接するべきである。
    • 余りの軽薄さに腹を立てて一喝を喰わせることもあるが、大体において、(ママ)畏おそるべしという感じを子路はこの青年に対して抱いている。(中島敦『弟子』 ※なお、「この青年」は子貢
    • 「古人の絵を見る度に、私は何時もどうしてかう描けるだらうと思ひますな。木でも石でも人物でも、皆その木なり石なり人物なりに成り切つて、しかもその中に描いた古人の心もちが、悠々として生きてゐる。あれだけは実に大したものです。まだ私などは、そこへ行くと、子供程にも出来て居ません。」「古人は後生(ママ)るべしと云ひましたがな。」馬琴崋山が自分の絵の事ばかり考へてゐるのを、妬ましいやうな心もちで眺めながら、何時になくこんな諧謔を弄した。「それは後生も恐ろしい。だから私どもは唯、古人と後生との間に挾さまつて、身動きもならずに、押され押され進むのです。尤もこれは私どもばかりではありますまい。古人もさうだつたし、後生もさうでせう。」(芥川龍之介『戯作三昧』)

関連語[編集]

  • 論語・子罕』中の以下の句より。
    後生可畏來者之不如今也
    (訳)「若い者は畏敬すべきである、どうして、将来においても後輩(来者=後生)が先輩(今)に及ばないと考えられるものか。

翻訳[編集]